花きりんのブログ

滋賀県大津市で就労継続支援B型をしています「花きりん」です。日々の活動やメンバー、スタッフ共に今社会で何が起こっているのかの学び合いをしています。ホームページは、https://hanakirin20150401.wixsite.com/my-site

年始早々、落ち着かないアルゼンチンは大丈夫か?

こんばんは。今日は各地で雪が降り、寒い一日でしたね。明日の朝、路面凍結が予想されています。注意していきましょう。

 

さて、年明けから早くも3週間以上経過しましたが、依然として能登半島を中心とした被災地は厳しい状況に置かれています。被災された方々、心よりお見舞い申し上げます。

そんな中、今年のここまでの市場の動きをみてみましょう。

まずは円相場ですが、年末には141円台まで円高が進んでいました。しかし、年明けから能登半島地震の影響を踏まえて金融緩和が続くと思われたことから円が売られ、143円台から始まりました。その後徐々に円安が進みましたが、17日から一層円安が進みました。日銀の金融緩和先送りに加え、FRBの利下げも先送りされると思われたことで、またまた日米の金利差が意識され、円が売られたことが主な要因のようです。

東京株式市場のほうも、能登半島地震の影響で企業活動が低迷するのではという見立てと、紅海でのフーシ派の攻撃を受けてアメリカの株価が下がったことから、株安から始まりました。ただ、翌週から一転、値上がりし、今日の時点で年末から1割(3000円)ほど高くなっています。これは、各企業からの賃上げ表明や長く続いたデフレ脱却への期待、円安が進んだことなどが影響しているようです。

 

そんな株価上昇に、期待と一抹の不安を抱える日本国内から海外に目を向けてみると、ウクライナ侵攻やガザ地区紛争、あるいは台湾総統選、年末11月に控えるアメリカ大統領選など、早くも様々なトピックが出ています。その中でも今日は、ストライキが起きているアルゼンチンについて触れようと思います。

アルゼンチンでは、昨年11月の選挙で新たな大統領(アルゼンチンのトランプと言われている)ミレイ氏が当選し、翌12月に政権を発足させました。

その異名の由来ともなっている過激な発言(選挙公約では、中央銀行を廃止し、通貨ペソを廃止してドルを法定通貨にして物価を安定させる、など)を、さっそく実行に移し始めました。

手始めに、新規の公共工事を中止し、政府を縮小する(省庁を半減)、燃料や公共交通機関への補助金も削減する、国営企業を民営化、ペソのレートを切り下げ(対ドルで半減させる)、といった対策を打ち出しました。また、前政権が掲げたBRICSへの加盟も取りやめるなど、大幅な方向転換を打ち出しました。

これには痛みが伴う、と発言したとおり、発足前の11月の消費者物価指数は前年比160%ほどだったのが、発足した12月には、前年比211%に上がっています。これは、100円の物が1年後に311円になったということです。

ただ、ミレイ氏率いるリバタリアン党は、議会では圧倒的少数派(下院で257議席中3議席、上院は議席なし)であり、また、これまで中南米で自国通貨をドル化した国々(パナマエクアドルエルサルバドルグアテマラ)に比べて経済規模がはるかに大きく、大量のドルが必要となること、などから、政策実現は難しいのでは、特にドル化は無理ではないか、という懐疑的な意見が当初から多くみられていました。

案の定、当初から労働組合が強く反発し、昨日、一斉にストを行いました。

労働組合の反感を買うようなミレイ氏はなぜ、国民の支持を得て大統領になることができたのでしょうか?それは、アルゼンチンの経済がそれだけ危機的状況だということでしょう。では、そもそもなぜ、インフレがそこまでひどくなっていったのでしょうか?

主な要因の一つが、ペソ安です。

国民がドルを信頼しているため、ドルが利上げされていったことで大幅なペソ安が進んでいるのです。

加えて、干ばつで主要輸出品のトウモロコシの収穫量が激減し、ただでさえ少ない輸出が減り、外貨が不足したことも物価上昇につながっています。

また、労働組合が強く、物価が上がると頻繁に賃上げを求め、それを受け入れるため、物価が上がりやすくなっているそうです。そして、企業間競争があまりないため、コスト上昇を価格に反映させやすく、物価上昇が起きやすいという状況も要因として挙げられています。

日本はアルゼンチンから飼料を含む農作物や肉などを輸入しているので、畜産業や食品関係への影響が考えられます。

遠い国のストライキですが、その原因を見てみると、私たちの生活にも多少なりとも影響が出るかもしれない話にたどり着きました。

このまま過激な経済政策が功を奏さず、世界24位の経済大国が破綻するようなことがあれば、日本国内の物価上昇と合わせて、本格的に私たちの生活への影響を心配しないといけないかもしれず、ミレイ大統領がどう舵を取っていくのか、気になるところです。

 

1980年代後半のフォークランド紛争マラドーナでアルゼンチンを知った、チャリ通の爺でした。